成生(なりう)防備衛所(その2:探索結果 前編)
要約
- 舞鶴防備隊の成生防備衛所の遺構を探索しましたので報告します。
- 成生防備衛所の見張所(推定)、甲衛所、乙衛所、第一兵舎、烹炊所・浴室・便所、発電機室、境界石等の遺構を確認することができました。(今回はこのうち、見張所(推定)、甲衛所、乙衛所についてご報告します。)
成生防備衛所
海峡や重要港湾への敵潜水艦の接近を探知するために、日本海軍は「防備衛所」と呼ばれる施設を各地に設置しました。鎮守府が置かれるほどの重要な軍港であった舞鶴周辺にも、博奕岬防備衛所、新井崎防備衛所、成生防備衛所の3か所の防備衛所が設置されました。今回、このうちの成生防備衛所を探索しましたので、ご報告します。
成生防備衛所の各遺構の配置状況
成生防備衛所の各遺構の配置状況は次のとおりです。


成生岬灯台付近に見張り所と思われる遺構が見られました。また、同灯台がある小高い丘と、同丘の南西約300mにあるピークとの間にある馬の背から南東側の斜面に甲衛所、乙衛所、第一兵舎、第二兵舎、烹炊所・浴室・便所、発電機室等の遺構が見られました。これらの施設の配置状況は、「たまや」さん発行の「舞鶴要塞これくしょん」に掲載されている配置図が非常に参考になりました。また、前述のピークから東南東へ延びる尾根沿いに、「海界」と刻まれた1から17までの境界石等を確認することができました。以下、各遺構についてご説明します。
①見張所跡(推定)
成生岬灯台のすぐ南側に、レンガとコンクリートの遺構が見られました。激しく破壊されているため原型を留めておらず、どのような施設であったのか判然としませんが、「たまや」さん発行の「舞鶴要塞これくしょん」に掲載されている配置図では、この付近に見張所があったとされていることから、見張所跡と推定しました。この場所は前述のとおり成生岬灯台が隣接しており、海面の通視が良好なことから、見張所を設置するのに適した場所と考えられます。また、付近には直径約4mの円形窪地も見られました。




②甲衛所
成生岬灯台がある小高い丘と、同丘の南西約300mにあるピークとの間にある馬の背に甲衛所の遺構が見られました。甲衛所は山の斜面を削った切り土と切り土で得られた土砂を斜面に投入する盛り土により造成されており、同様の方法で甲衛所の下には乙衛所、その下には第一兵舎といった具合に、段々畑のように各施設が配置されています。
甲衛所の建物は全く残っていませんが、レンガで出来た基礎はきれいに残存しており、甲衛所の部屋割りが推測できます。甲衛所の南側の角の部屋にはコンクリート製の台が見られ、その形状や規模から二式磁気探知機の機器を設置する台(詳しくは、過去のブログ「防備衛所で見かけるコンクリート台」を参照下さい)と判断されます。






昭和18年8月の舞鶴防備隊戦時日誌 附表 第一防備要図には、成生防備衛所から冠島にかけて二式磁気探知機が設置されていた状況が示されており、同防備衛所に二式磁気探知機が装備されていたことが分かります。なお、同戦時日誌には昭和18年8月5日に電纜敷設艇「立石」が成生防備衛所と新井埼防備衛所の磁気探知機の設置を開始した旨の記載があり、8月30日まで敷設艇「新井崎」と共に設置作業が続けられました。ちなみに「海軍水測史」には、成生防備衛所には97式水中聴音機が装備されていた旨の記載はありますが、二式磁気探知機が装備されていた、との記述はありません。

②乙衛所
甲衛所の南東側にある階段を下ると、乙衛所に至ります。乙衛所も甲衛所と同じく建物は遺されていませんが、コンクリート製の基礎と壁面の一部が残存しています。乙衛所の西側の角には便所があり、大便器一つと小便器設置箇所が2か所見られます。「十五定防備衛所工事規準(草案)」では、衛所に便所を設置することとされており、これに沿った設備となっています。衛所では水中聴音機や磁気探知機を常時聴音、監視する必要があるため、これら作業の当直が用を足す際、素早く持ち場に戻ることができるよう、衛所内に設置されたものと考えられます。



また、北側の角には、6.13m×2.53m(15.5平米)のやや広い部屋がありますが、この部屋の北西側の壁沿いに土管(室内側)とコンクリートの枠(室外側)で作られた特徴的な形状が見られます。これは、コンクリート製の基礎の下をくぐって配管や配線を通すための設備だと考えられ、似たような構造が友ヶ島防備衛所の電池室にみられます。防備衛所で用いられた97式水中聴音機は、電池を用いて作動させるため、電池を収納する電池室が衛所内部もしくは周辺に設置されていました。当時利用されていた電池は酸を使用していたため、万一この酸が漏出した際に電池室から周辺へ流れ出さないように、コンクリート製の枠を設けていたと考えられます。成生防備衛所乙衛所で見られるこの構造も、友ヶ島防備衛所電池室と同様の目的で設置されたとすれば、成生防備衛所乙衛所の北西側に電池室が設置されていたことになりますが、周辺には電池室の遺構らしきものは見られないため、はっきりとしたことは分かりません。仮に成生防備衛所乙衛所の北西側に電池室があった場合、このやや広い部屋には97式聴音機が設置されていたことになるため、聴音室ということになります。



成生(なりう)防備衛所(その2:探索結果前編)は以上のとおりです。最後までお読みいただきありがとうございました!今回ご紹介した①見張所跡(推定)、②甲衛所、③乙衛所 以外の遺構については、「その3:探索結果後編」にて改めてご報告いたします。
参考文献
- たまや、『舞鶴要塞これくしょん』、たまや(発行)、2021年4月11日
- 「昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 舞鶴防備隊戦時日誌(3)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030442600、昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 舞鶴防備隊戦時日誌(防衛省防衛研究所所蔵)
- 海軍水測史刊行会事務局、『海軍水測史』、海軍水測史刊行会事務局、1979年
- 海軍省建築局、『十五定防備衛所工事規準(草案)』、1941年(防衛研究所所蔵)


