成生(なりう)防備衛所(その3:探索結果 後編)
要約
- 舞鶴防備隊の成生防備衛所の遺構を探索しましたので報告します。
- 成生防備衛所の見張所(推定)、甲衛所、乙衛所、第一兵舎、烹炊所・浴室・便所、発電機室、境界石等の遺構を確認することができました。(今回はこのうち、第一兵舎、烹炊所・浴室・便所、発電機室、境界石等の遺構についてご報告します。)
成生防備衛所
海峡や重要港湾への敵潜水艦の接近を探知するために、日本海軍は「防備衛所」と呼ばれる施設を各地に設置しました。鎮守府が置かれるほどの重要な軍港であった舞鶴周辺にも、博奕岬防備衛所、新井崎防備衛所、成生防備衛所の3か所の防備衛所が設置されました。今回、このうちの成生防備衛所を探索しましたので、ご報告します。
成生防備衛所の各遺構の配置状況
成生防備衛所の各遺構の配置状況は次のとおりです。


前回、①見張所(推定)、②甲衛所、③乙衛所 についてご報告しましたので、今回はそれ以外の遺構(④第一兵舎、⑤烹炊所・浴室・便所、⑥第二兵舎、⑦発電機室(推定)、⑧(地下?)発電機室、⑨~⑫水槽、⑬門、⑭木柱及び境界石についてご紹介します。
④第一兵舎
乙衛所の南東側にある階段を下ると、第一兵舎に至ります。成生防備衛所の他の遺構と同様に建物は遺されていませんが、コンクリート製の基礎を確認することができました。乙衛所からの階段を下りてそのまま直進した箇所には、幅156cmのコンクリート製の床で出来た通路があり、その左右には仕切りのない広い部屋が見られました。この通路を直進すると、烹炊所・浴室・便所へ向かう階段に繋がっています。


第一兵舎の南東側の基礎に隣接して、50cm×46cmのコンクリート塊が2か所見られました。また、それぞれのコンクリート塊の下部には土管が埋め込まれ、土管の上部には溝が確認できました。同様の構造物は乙衛所の南東側にも2か所見られ、乙衛所のコンクリート塊のすぐ横にある、一段下の第一兵舎方向への斜面には、雨どい状の半円の土管を確認することができました。これらのことから、南東側の基礎に隣接して設置されたコンクリート塊は、建物(第一兵舎や乙衛所)の雨どいから流れてくる雨水を地表付近へ導き、斜面の下側へ流下させるための配管の土台であったと考えられました。成生半島の先端は細長く、低い山が連なる地形であり、水を得やすい谷の規模が小さいことから、必要な水を確保するためには建物の屋根に降り注ぐ雨水を活用する必要があり、このような集水の仕組みが用いられたのではないかと思われました。




⑤烹炊所・浴室・便所
第一兵舎の南東側にある階段を下ると、烹炊所・浴室・便所に至ります。「成生防備衛所図面」(「舞鶴要塞これくしょん」に掲載)では、この建物は「烹炊所及浴場」と記載されていますが、便所も併設されているため、「烹炊所・浴室・便所」としました。他の遺構と同じく建物は残されていませんが、コンクリート製の基礎と壁面の一部が残存しています。現在確認できる遺構の状況から、それぞれの区画がどの用途であるのかを推定しました。



(1)便所
便器が設置されている建物の北東側の区画を便所と判断しました。大便器が設置されていた区画は5据分、小便器のそれは3据分確認することができました。また、建物の北東側には直径約50cmの穴が2か所あり、下部に便槽を確認することができました。



(2)烹炊所
建物の南西側に比較的広い区画があり、後述の浴室と思われる区画とは異なり、床面がフラットであることと、区画の中央部分に流し台のような構造が残されていたことから、こちらを烹炊所と判断しました。
烹炊所とした区画の南東側の壁の外側には、煙突の基部と思われる構造物が残存しており、壁面にも煙道と思われる穴が開けられているため、当該区画の南東側には竈があったと推察されますが、実際はそのような構造物はなく、周辺にレンガが散乱しているのみでした。戦後、竈に用いられていたレンガを建築資材として再利用するため、破壊されて持ち去られた可能性が考えられます。
また、区画の中央部分にはレンガで作られた四角形(92cm×79cm:ともに外寸)の構造物が確認できました。表面にはモルタルが塗布されており、内側は段違いの構造になっています。段違いの下段側には土砂や落ち葉が堆積していたため、この部分の詳しい構造は確認できませんでしたが、形状からこの構造物が流し台ではないかと思われました。なお、内側は塗布されたモルタルにより、壁面と底面が交差する部分にRが付けられており、非常に丁寧な造りとなっています。



(3)浴室
建物の中央部分には通路があり、この通路を挟んだ両側の2か所を浴室と判断しました。その理由は、この建物は「成生防備衛所図面」では「烹炊所及浴場」と記載されているため、これらの部屋は烹炊所若しくは浴室のどちらかであると推察されますが、当該区画は床に段差(風呂の排水のための凹部や、浴槽への出入りのための足場の凸部?)が多く平面ではないため、調理等の作業を行うには不向きであることから、烹炊所の可能性は低いと考えられました。そのため、これらの区画は浴室であると判断しました。
浴室とした区画の建物の外側には、同程度の大きさの煙突の基部がそれぞれの浴室に1基ずつあり、煙突基部がある位置の建物の内側には、レンガで出来た構造物の残骸が見られました。このレンガの構造物の残骸から少し離れた位置に、コンクリート製の足場のような遺構(浴槽への出入りのための凸部?)も、各々の浴室で見られました。レンガの構造物は破壊されているため当時の状況は分かりませんが、おそらくこの部分に焚き付けや風呂釜、浴槽等が設置されていたのではないかと推察されました。





⑥第二兵舎(推定)
「成生防備衛所図面」では、第一兵舎の南西側にある階段を南西方向に上った場所に第二兵舎があると記載されており、当該位置には比較的広い削平地が広がっていました。この削平地に第二兵舎があったと考えられますが、建物はおろか基礎すら遺されていませんでした。第一兵舎からの階段を登り切ったあたりには通路の遺構が残されており、その末端には建物の入口への踏み台のようなコンクリートの構造物が見られました。これらは第二兵舎へと通じる通路の遺構と考えられます。



⑦発電機室(推定)
「成生防備衛所図面」には、烹炊所・浴室・便所の南東側のやや離れた位置に発電機室があったと記載されています。当該位置には削平地が広がっており、わずかにレンガで出来た建物の基礎が残されていますが、斜面から流入してきた土砂で埋まっている部分が多いため、建物の規模や形状をうかがい知ることはできません。


⑧地下(?)発電機室
「成生防備衛所図面」では、発電機室(推定)の東南東側のやや離れた位置に別の発電機室があったとの記載があり、当該位置で遺構を確認することができました。建物の壁が残されていますが、床面は流入した土砂で埋まっており、発電機室の遺構の床面でよく見られる台座や溝を確認することはできませんでした。また、発電機室の形状は単純な四角形であることが多いですが、この建物は370cm×378cmと200cm×178cm(いずれも内寸)の二つの四角形を組み合わせた多角形となっています。さらに、この建物は斜面に造られていて、斜面山側の壁の外側は多くの土砂で埋められており、半地下構造のようになっていました。ただし、斜面山側であっても一部分は土砂で埋められていないことから、斜面から発電機室周辺に土砂が流入し、その結果、半地下構造のようになった可能性も考えらえます。


⑨水槽
乙衛所の南西側約10mの位置に、234cm×231cm(いずれも内寸)の水槽を確認しました。また、この水槽壁面には「昭和拾九年五月」との記載がありました。成生防備衛所は、昭和16年12月の舞鶴防備隊戦時日誌には「成生埼防備衛所(見張ノミ)」との記載があり、さらにその後の昭和18年8月には磁気探知機の設置も行われ、装備が強化されています。この水槽の設置は昭和19年5月であるため、当該防備衛所の本格稼働後に貯水能力の増強を図るため、設置されたと考えられます。


⑩水槽
烹炊所・浴室・便所の南西約6mの位置に、151cm×99cm(内寸)の大きさの水槽を確認しました。他の水槽に比べて小規模な水槽です。

⑪水槽
第二兵舎があったとされる位置からさらに十数メートル南側で、水槽(内寸302cm×301cm)を確認しました。

⑫水槽
⑦発電機室があったと推測される位置より南西へ約15mの位置で、水槽を確認しました。水槽は周辺から崩れてきた土砂で埋まっているため全容は判然としませんが、幅251cm、長さは少なくとも(土砂で埋まっていない部分で)352cm(いずれも内寸)ありました。

⑬門
⑫水槽から南南西へ約80mの位置に門(門柱)の遺構を確認しました。後述する境界石が並ぶ尾根上にあり、境界石5と境界石6の間に位置しています。この門は境界石が並ぶ位置に設置されていることから、成生防備衛所の出入口であったと考えられます。門からは、南西方向に向かって斜面を下るように通路が伸びており、またその反対側は、衛所や兵舎が集積する方向へ通路が伸びています。時間の関係で計測は実施せず、写真撮影と位置の記録のみ行いました。

⑭木柱
後述する境界石が並ぶ尾根を西北西方向に登り切ったピークの位置に、木柱を確認しました。この木柱が成生防備衛所関連の遺構であるのかは不明ですが、成生防備衛所からほど近いピークに設置されているため、通信鉄塔の代わりに使用されていた可能性が考えられます。また、成生岬の先端にある成生岬灯台は昭和31年に設置されているため、この灯台の関連施設であった可能性も考えられます。

境界石
⑭木柱から東南東方向への尾根上に、1から17の番号が振られた境界石が設置されているのを確認しました。いずれもコンクリート製ではなく、石材を削って作られており、「海界」の文字とアラビア数字で番号が彫り込まれていました。境界石に「海界」の文字が彫り込まれているのは、舞鶴周辺の海軍関係の遺構でよく見られるようです。

成生(なりう)防備衛所(その3:探索結果後編)は以上のとおりです。最後までお読みいただきありがとうございました!
参考文献
- たまや、『舞鶴要塞これくしょん』、たまや(発行)、2021年4月11日
- 「昭和16年12月1日~昭和17年9月30日 舞鶴防備隊戦時日誌(1)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030441200、昭和16年12月1日~昭和17年9月30日 舞鶴防備隊戦時日誌(防衛省防衛研究所)
- 「昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 舞鶴防備隊戦時日誌(3)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030442600、昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 舞鶴防備隊戦時日誌(防衛省防衛研究所所蔵)


