対馬南端神崎の海軍望楼
要約
- 対馬南端の神崎には、明治期に設置された海軍望楼が現存し、レンガ造りの建物の外側にコンクリート造りの壁を付け加えるという、変わった構造をしています。
- コンクリート部分の粗雑な作りや、隣接する神崎防備衛所が空襲に対する備えを進めていたことから、海軍望楼のコンクリート造りの外壁についても、大戦末期に空襲に対する備えとして、対弾性を強化することを目的に工事が行われたのではないか、と推測しました。
現存する明治期の海軍望楼
対馬南端の神崎には、明治期に設置された海軍望楼が現存します。この海軍望楼、外見はコンクリート造りなのですが、出入口側はレンガ造りとなっています。入り口にある曲線の庇が、いかにも年代物の建造物であることを感じさせます。なお、当地への探索に当たっては、スイカ氏のブログ「戦争遺跡に行ってみた。~砲台探訪と山口県の戦争遺跡」の『対馬の守り(日露戦争) ⑪ ~神崎海軍望楼』を参照しました。




海軍望楼の平面図を作成
海軍望楼の中に入ってみると、内側の壁はほとんどの部分がレンガ造りとなっている一方で、出入口側の壁にはコンクリート造りの部分が見られました。この海軍望楼を計測し、平面図を以下のとおり作成しました。(海軍望楼の中がゴミだらけで詳細に計測できなかったため、多少間違いがあるかもしれませんが、ご容赦ください…)。




外側はコンクリート、内側はレンガ
平面図からも分かるように、明治期に建てられたレンガ造りの海軍望楼の外側に、コンクリート造りの壁を後から追加した構造となっています(出入口側のみ、内側にコンクリート造りの壁が追加されています)。レンガ造りの壁の厚さは約32cm、コンクリート造りの外壁は約62cm、同じくコンクリート造りの出入口側にある壁の厚さは約57cmでした。なお、屋根については測定していませんが、撮影した写真から類推すると、概ね50cm程度の厚さがあると思われます。元々あった海軍望楼に、コンクリートの壁と屋根を追加し、監視のための施設として使用されていたと思われます。
粗雑な作りのコンクリート外壁
再度外観をよく確認すると、このコンクリート造りの外壁の骨材には玉石や玉砂利だけでなく、その辺りに転がっていそうな角があるゴツゴツとした大きめの石が使用されていたり、コンクリートが行きわたらず表面に隙間が生じていたり、型枠の不足のためか監視用の窓の部分がたわんでいたりします。これらのことから、明らかに大雑把で荒っぽい作りであることが分かります。

赤枠:角ばった石 水色枠:玉石 青枠:細かい玉砂利


なぜコンクリート造りの外壁が追加されたのか
そもそもなぜ、明治期のレンガ造りの海軍望楼にコンクリート造りの外壁等が追加されたのでしょうか。その理由を推察させるヒントを、この海軍望楼の隣接地(数十メートル程度)に設置されていた神崎防備衛所の引渡目録に見つけることが出来ました。
神崎防備衛所の引渡目録の備考欄には、次のように記載されています。
”(1)使用シ居リシ地上施設ハ兵器共八月十日被爆ニ依リ全部喪失任務遂行不能トナリ十二日撤収
(2)洞窟施設終戦時概ネ80%進捗シアリ未使用 ”
(以下略)
「4 派遣隊所在各地区(4)神埼派遣隊」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011399500、昭和20年9月30日 引渡目録 対馬警備隊(①-引渡目録-446)(防衛省防衛研究所)より

「神崎防備衛所として使用していた地上施設は、兵器と共に昭和20年8月10日に爆撃により全て失ったため任務の遂行が不可能となり、8月12日に撤収した。洞窟施設は終戦時概ね80%進捗していたが未使用であった」と記載されています。
空襲は予想されていた
引渡目録によると、神崎の海軍望楼に隣接する神崎防備衛所は、昭和20年8月10日に空襲を受けて任務遂行が困難となり、その5日後に終戦を迎えた際には、空襲を避けるために移転しようとしていた洞窟施設(聴音室、発電機室、兵員室等、合計7か所の洞窟施設を工事していた)の進捗率が80%に達していた、と記載されています。空襲を受けてから洞窟施設の工事を開始し、僅か5日間で進捗率が80%まで進んだとは考えにくいですから、空襲を受ける以前から洞窟施設へ移転するための準備を開始していた、と判断されます。おそらく大戦の末期に、神崎防備衛所が空襲を受けるリスクを想定し、移転の準備を進めていたのでしょう。
耐弾性を高めるためにコンクリート造りの外壁を付加したと推察
ここで海軍望楼に話を戻します。海軍望楼でのコンクリート造りの外壁についても、神崎防備衛所の洞窟施設への移転の準備と同じように、空襲による被害を危惧して工事をされたのではないか、と推察しました。付加されたコンクリート造りの壁の厚さは62cm若しくは57cm程度もあり、平屋の建造物の壁としてはあまりにも厚すぎます。耐弾性の強化を目的として、意図的に厚いコンクリート造りの外壁等を作ったのではないでしょうか。海軍望楼の外壁の工事は前述のとおり粗雑な内容となっていますが、資材不足が深刻だった大戦末期に工事が行われたとすれば、不自然なことではありません。
コンクリート造りの外壁の必要性
海軍望楼の耐弾性を向上させる必要性についても検討してみました。海軍望楼はレンガ造りですが、レンガの耐弾性はどの程度なのでしょうか。これについては、酒石凡平氏のブログ「道は六百八拾里」の「物料の耐弾性」において各種文献を引用して記載されており、レンガは小銃弾に対して厚さ12.7cmから38.1cm、平均28.7㎝(n=9)で対弾性を有するとされていました(数値にはバラツキがありますが、弾丸の種類や測定方法が異なるためのようです)。海軍望楼のレンガ造りの壁の厚さは約32cmですので、弾丸の口径や種類、射撃位置からの距離等にもよりますが、小銃弾よりも威力が大きいと考えられる敵機からの機銃掃射を防ぐには、心もとないと思われます。コンクリート造りの外壁等を追加して、耐弾性を向上させる必要があった、と言えるのではないでしょうか。
「対馬南端神崎の海軍望楼」をお読みいただきありがとうございました!
参考文献
- スイカ、『対馬の守り(日露戦争) ⑪ ~神崎海軍望楼』、戦争遺跡に行ってみた。~砲台探訪と山口県の戦争遺跡、2022年5月27日、https://ameblo.jp/mango2-100822/entry-12744865588.html(2023年7月23日参照)
- 「4 派遣隊所在各地区(4)神埼派遣隊」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011399500、昭和20年9月30日 引渡目録 対馬警備隊 (①-引渡目録-446)(防衛省防衛研究所)
- 酒石凡平、『物料の耐弾性』、道は六百八拾里、2016年11月27日、https://akabasa.blogspot.com/2016/11/blog-post.html、(2023年7月23日参照)


