地図に記された「日本軍の大砲」
要約
- インドネシアのバリクパパンに四十口径八九式十二糎七高角砲の連装砲が残されていました。
- 高角砲の南側は製油所があり、戦時中は日本海軍の第百二海軍燃料廠として運用されていました。
- 高角砲は海軍第百二燃料廠を空襲から守るための防空砲台として設置されたと考えられます。
地図に記された「日本軍の大砲」
かなり前(2014年)の話になります。戦跡の探訪をまだしていなかった頃にインドネシアのバリクパパンを訪れた際、有名ガイドブック「地球の歩き方」の地図に、「日本軍の大砲」と記載されていることに気が付きました。ガイドブックには大砲の写真やその場所への行き方は書かれていませんでしたが、面白そうだと思い現地へ行ってみました。

「日本軍の大砲」を確認
「日本軍の大砲」の近くまでとりあえず乗合いバスで向かい、バスを降りてからは地図を頼りに大砲へ向かいました。道すがら地元の人に「meriam Jepang?(ムリアム ジュパン?=大砲 日本?)」と尋ねると、にっこりと笑って大砲のある方向を指差して教えてくれました。どうやら、「日本軍の大砲」は現地の人たちにもよく知られた存在のようでした。しばらくすると丘の上に、公園のように整備された広場(座標:-1.230915, 116.817115)があり、そこに「日本軍の大砲」がありました。

「日本軍の大砲」は四十口径八九式十二糎七高角砲
様々な部位が欠損していて原形とはやや異なりますが、写真や図面と比較したところ、「日本軍の大砲」は四十口径八九式十二糎七高角砲の連装砲のようで、青緑色と茶色の迷彩柄で塗装されていました。自分には、「大砲の色=灰色」という先入観があったため、この塗装には少々驚きました。この高角砲は標高約50mの小高い丘の頂上に設置されており、敵機による空襲に対抗するための防空砲台であったと考えられます。


この場所に高角砲が設置された理由
現在、この高角砲の南側には、インドネシアの国営石油会社であるプルタミナの大規模な製油所がありますが、元々この製油所は、インドネシアを植民地としていたオランダが太平洋戦争開戦以前に整備したものです。そして、開戦後に日本海軍がこれを占領し、「海軍第百二燃料廠」として運営していました。海軍第百二燃料廠の配置図と現在の地図を比べると、高角砲の南側の湾が埋め立てられて製油所が拡張されているものの、当時からほぼ同じ規模の製油所が設置されていたことが分かります。この海軍第百二燃料廠を敵機の空襲から守るために、この高角砲が設置されたと考えられます。


なぜ海軍が採用した高角砲が設置されたのか
昭和16年11月26日に「占領地軍政実施ニ関スル陸海軍中央協定」が締結され、バリクパパンのある蘭領ボルネオは海軍の主担当地域となりました。このことから、日本海軍は第百二燃料廠をバリクパパンに設置し、日本海軍が採用していた四十口径八九式十二糎七高角砲が、当地に配備されたと考えられました。
バリクパパンの防空に貢献
「日本海軍燃料史(上)」に、海軍第百二燃料廠への空襲と防空砲台について以下のとおり記述があります。
“19年に入ると戦局が次第に不利となり、特に後半期に入ると共に海空共に敵側に制せられ、海上輸送が危険に陥った。(中略)9月以降敵機が頻繁に来襲したが、マンガル飛行場に基地を有する有力な第381航空隊が常に勇敢にこれを迎撃し、多大の損害を与えてこれを撃退した。(中略)10月下旬381航空隊は作戦のために他に移転し、我方の防衛機は皆無となった。その後も引き続き敵機の来襲があったが、比較的規模が小さく且我方の防空砲火も健在であったので、燃料施設にも大なる被害は無かった。 ”
燃料懇話会 「日本海軍燃料史(上)」 1972年 より
このように、「防空砲火も健在であったので、燃料施設にも大なる被害は無かった」と記載されており、海軍第百二燃料廠周辺の対空火器による防空が有効に機能していたとされています。このことから、この高角砲も当地の防空戦闘に貢献していたのではないかと推察されます。
一方で、昭和20年7月1日に実施された敵上陸に先立ち、同年6月19日に海軍第百二燃料廠周辺は大空襲を受け、防衛陣地や燃料廠施設は壊滅的な被害を受けたとの記述もあるため、この時期には防空体制も厳しい状況となっていたと考えらえます。
戦跡探訪の楽しさに気付く
この高角砲を見に行った当時、自分はスマホを持ち歩いていなかったため、頼りの情報は地球の歩き方の地図のみで、「日本軍の大砲」とはどのような大砲なのか、どのような状態で存在しているのか、事前情報なしで現地へ向かいました。その結果、丘の上で高角砲を見つけることが出来たのですが、断片的な情報を基に、「目当ての大砲よ、有りや無しや…」と思いつつ、探索・確認する楽しさに気付くきっかけとなりました。
※現地を訪問したのは2014年ですが、Googlemapで確認したところ、高角砲は現在もそのまま残っているようです。
「バリクパパンの「日本軍の大砲」」を最後までお読みいただきありがとうございました!
参考文献
- 「地球の歩き方」編集室、『地球の歩き方 D25 インドネシア(2014~2015年)』、株式会社ダイヤモンド・ビッグ社、2013年12月
- 堤明夫、『四十口径八九式十二糎七高角砲』、桜と錨の海軍砲術学校、2018年5月13日
- 森恒英、『軍艦メカニズム図鑑-日本の巡洋艦』、株式会社グランプリ出版、1993年3月21日
- 国立公文書館、『南方政務部』、アジ歴グロッサリー、https://www.jacar.go.jp/glossary/term1/0090-0010-0080-0060-0010.html、(2023年6月17日参照)
- 燃料懇話会、『日本海軍燃料史(上)』、株式会社原書房、1972年10月


