伊島防備衛所(その3:島中央部にある貯水池周辺の遺構②)
要約
- 徳島県伊島にある伊島防備衛所を探索しました。遺構は伊島灯台周辺及び島中央部にある貯水池周辺で確認することができました。
- 伊島灯台周辺では、灯台横にレンガ造りの遺構、灯台よりも一段下の場所に長さ18.7m、幅は計測できた部分で3.7mの比較的大きな遺構を確認しました。
- 島中央部にある貯水池周辺では、水槽、井戸、発電機室、油庫、境界石、壕口(3か所)、コンクリート壁、コンクリート擁壁を確認しました。また、流し台若しくは水溜や浴室と思われる遺構も見られました。(今回は、このうち境界石、壕口(3か所)、コンクリート壁、コンクリート擁壁と、流し台若しくは水溜や浴室と思われる遺構についてご紹介します)
島中央部にある貯水池周辺での伊島防備衛所の遺構
前回もご紹介しましたが、島中央部にある貯水池周辺での遺構の配置図をお示しします。

境界石第十九号
発電機室の南側の谷(発電機室より約15m)に、境界石第十九号が設置されています。海軍の波マークも彫られています。


壕口①
前述のとおり、道路の湾曲部の外側の谷にモルタル製のレンガでできた水槽があり、その水槽のすぐ横に壕口①があります。壕内に入るのが怖いので中には入っていませんが、幅と高さはそれぞれ2m程度です。

壕口②
標柱第十九号から東へ約20mの位置にあります。壕口は倒木で見えにくくなっていますが、石柱付近から壕口までは交通壕のような凹部になっており、容易に確認することができます。倒木等で壕口が塞がりかけています。壕内の状況は確認していません。

壕口③
標柱第十九号から南へ約30mの場所から、さらに東へ約15m進んだ位置にあります。壕口②と同様に、壕口までは交通壕のような凹部になっており、容易に確認することができます。落下してきた土砂等で壕口が塞がりかけています。こちらについても壕内の状況は確認していません。

コンクリート壁
水槽①(道路沿い)から道路を30mほど下った場所に、道路と垂直方向のコンクリート壁が設置されています。コンクリート壁の道路に接する面は破壊されたような跡があり、道路の建設に伴い一部が破壊された可能性があります。このコンクリート壁の設置の目的は不明です。
なお、防備衛所の遺構の周辺に石組み等で壁が設置されることがあり、これは海上から防備衛所の施設が見えることを防ぐ「目隠し」のためと考えられますが、このコンクリート壁は目隠しのために設置されたとは考えられません。理由としては、①コンクリート壁の高さを計測していませんが、せいぜい1mから1.5m程度であり、建物を隠すためには不十分である ②カシミール3Dのパノラマ展望図の機能で、このコンクリート壁のある位置から海の見える方向を確認したところ、おおよそ南南西から西南西であることが分かりましたが、このコンクリート壁は防備衛所の施設の北西側に設置されており、施設を隠すためには役に立たない の2点が挙げられます。

コンクリート擁壁
道路の南側のやや低い位置でコンクリート擁壁を確認しました。コンクリート擁壁の上には、破壊されたレンガの瓦礫が大量に積み上げられています。引渡目録の図面では、水槽(=水槽①)と井戸の間に兵舎が設置されていたことが示されており、この大量のレンガの瓦礫は、兵舎に用いられていたものと考えられ、兵舎は現在の道路のある位置付近に設置されていたものと推察されます。
また、このコンクリート擁壁には、埋め込まれた鉄パイプが残置されています。この鉄パイプのサイズ(外径の直径5cm、内径の直径4cm)は、水槽①(道路沿い)の南西側の壁面に突き出ている鉄パイプと同じであり、水槽①(道路沿い)と井戸を結ぶ位置付近にあることから、井戸からくみ上げた水を水槽に送るための配管の一部である可能性があります。仮にそうであれば、このコンクリート擁壁は、道路が整備された際に設置されたものではなく、防備衛所の施設が設置された当時から存在していたことになります。


流し台?水溜?
前述のコンクリート壁から道路を数メートル上がった茂みの中に、レンガとモルタルで造られた流し台若しくは水溜のような施設を確認しました。茂みの中にあるため、大きさは計測していません。引渡目録ではこの付近に倉庫が設置されていたとされているため、倉庫の一部である可能性もあります。島に設置されている防備衛所の施設では、建物のすぐ横に水溜が設置されているのをよく見かけます。屋根に降り注いだ雨を集めて、水溜に貯めていたと考えられます。

浴室?
前述の流し台?水溜?と水槽①の間の道路の北側に、レンガとモルタルで造られた遺構を確認しました。激しく破壊されていますが、いくつかの区画に分かれた水槽のような形状が見られました。また、下部には土管による排水口のようなものがあり、上部には管が設置されていたような穴が開いていて、これらが給排水施設に見えることから、浴室の跡ではないかと推測しました。なお、引渡目録には浴室の記載はありません。


伊島防備衛所の遺構については、以上のとおりです。最後までお読みいただきありがとうございました。
参考文献
- 海軍水測史刊行会事務局、『海軍水測史』、1984年4月
- GHQ USAFPAC、『Survey of Japanese Seacoast Artillery』、1946年2月1日
- 「近畿地区施設一覧(附青図)(6)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011197600、「阪復」近畿地区施設一覧(附青図) (①-引渡目録-209)(防衛省防衛研究所)
- 岸本実、『伊島の開拓』、人文地理 3巻1号、1951年
- 海軍省建築局、『十五定防備衛所工事規準(草案)』、1941年(防衛研究所所蔵)
- kan、『伊島防備衛所』、kanレポート、2013年9月23日、http://kanreport.blog58.fc2.com/blog-entry-331.html、(2022年12月25日参照)
- pearl white、『伊島に残る瀬戸崎防備衛所』、遺産、遺跡を求めて・・・、2013年12月15日、https://ameblo.jp/ns-c35-235/entry-11729316974.html、(2022年12月25日参照) ※題名は「伊島に残る瀬戸崎防備衛所」とされているが、伊島防備衛所に関する内容と判断される


