ジットラライン探訪記(その1)

要約

  • 日本軍によるマレー半島進攻を阻止するために英軍が建設した要塞線「ジットラライン」の痕跡を求めて、マレーシア北部のジットラ(町の名前)周辺を探訪しました。(探訪の報告は、次回の「その2」で行います)
  • 防衛研究所所蔵の資料や当時の地図を参考にジットララインの位置を推定しました。

ジットラライン

 ジットララインとは、日本軍によるマレー半島進攻を阻止するために英軍が築いた要塞線です。現在のマレーシア北部の町「ジットラ」付近に建設されました。「3か月間は日本軍を足止めできる」とされていましたが、第5師団の佐伯挺進隊により、瞬く間に突破されたことで有名です。ドイツによるフランス進攻を阻止するために建設された要塞線「マジノ線」にあやかり、小マジノ線とも呼ばれています。

ジットラ位置図
マレーシア北部のタイ国境付近に位置している
ジットラ位置図

探訪のきっかけ

 以前から「ジットラライン」という名前は知っていましたが、ジットララインがどこにあるのか、どのような陣地だったのか、詳しいことは知りませんでした。そんなある日、本家?であるマジノ線は、その一部は整備され、見学も可能ということを知りました。いつの日かマジノ線を訪ねてみたい、と考えると同時に、そう言えばジットララインはどうなのだろう?今も残っているのだろうか?という疑問と興味が生まれました。

 さっそくジットララインについてネットで調べてみたものの、詳しい位置が分かるようなサイトは見つかりませんでした。また、現在の状況については、英語のサイトでわずかに写真が確認できる程度でした。ジットララインはどこにあるのか、どんな状況なのか?現地へ行って確認してみたくなりました。

ジットララインはどこに?

 現地へ行って確認するためには、ジットララインはどこにあったのかを調べる必要があります。そのために、以下の資料を参考としました。

Ⓐ 戦闘戦史 攻撃 前編

Ⓑ 馬来作戦「ジットラ」付近 戦闘経過概要(防衛研究所所蔵)

 陸軍參謀本部 陸地測量部が1941年に発行した地図(国立国会図書館所蔵)

(以下、それぞれの文献の内容や考察を色々と記載していますが、ジットラからの距離や地形的な類似点から、ジットララインの位置を推定した、という内容です。)

Ⓐ 戦闘戦史 攻撃 前編

 まず、「Ⓐ 戦闘戦史 攻撃 前編」には、佐伯挺身隊によるジットラ付近での戦闘について、以下のとおり記載されていました。

"ジットラ北方1.5kmの橋梁付近に到着した。この橋梁にも爆破装置が仕掛けられているものとして偵察を部署していた時、橋梁は大音響とともに吹き飛ばされてしまった。同時に照明弾が打ち上げられ数十門の砲の一斉集中火と更にこれに呼応した赤・青の曳光対戦車砲弾と自動火器の集中射撃を受けた。"

富士学校戦闘戦史編さん室 編, "戦闘戦史 攻撃 前編", 1976

 日本軍は北のタイ国境から南へ向けて進軍しており、ジットラ北方1.5km付近の橋が爆破され、この付近で激しい集中砲火を浴びたことから、ジットララインはこの橋よりもやや南側に構築されていたと考えられます。

Ⓑ 馬来作戦「ジットラ」付近 戦闘経過概要

 次に、防衛研究所が所蔵している「Ⓑ 馬来作戦「ジットラ」付近 戦闘経過概要」を参照したところ、次のことを読み取ることができました。

第25軍司令部,”馬来作戦「ジットラ」付近 戦闘経過概要 昭和16.2.11~16.2.12",発行年不詳(防衛研究所所蔵)

①ジットララインの北側、特に北西側から西側にかけて大湿地帯が広がっていた

②ジットララインの北側に、対戦車壕(三角断面水壕)が東西方向に延びており、西側では南西方向に延びていた

③タイ国境とジットラ方面を結ぶ南北方向の道路(以下、「南北方向の道路」とします)の西側の対戦車壕の一部は、湿地帯の中にあった

④南北方向の道路と対戦車壕の交点付近に破壊された橋が架かっており、地雷が設置されていた

陸軍參謀本部 陸地測量部が1941年に発行した地図

 最後に、「Ⓒ 陸軍參謀本部 陸地測量部が1941年に発行した地図」を参照したところ、次のことを読み取ることができました。

陸軍参謀本部陸地測量部、”[Jitra] Parts of Kubang Pasu District, Kedah”,1942(国立国会図書館所蔵)
  • ①ジットラから南北方向の道路を1.5㎞ほど北上した地点から北側に湿地帯が広がっていた。特に、この地点から北西側から西側にかけて湿地帯が広がっていた
  • ②ジットラから南北方向の道路を1.7kmほど北上した地点から西南西の方向に川(Sungai Kamunting)(以下、「カムンティン川」とします)が流れていた
  • ③ ②の川は湿地帯の中を流れていた
  • ④南北方向の道路とカムンティン川は接しており橋が架かっていた可能性がある

ⒷとⒸの両図をを比較してジットララインの位置を推定

 「Ⓑ 馬来作戦「ジットラ」付近 戦闘経過概要」と「Ⓒ 陸軍參謀本部 陸地測量部が1941年に発行した地図」を比較し、①主要な道路の配置状況 ②湿地帯の分布状況 ③南北道路より西側の対戦車壕の配置状況と、カムンティン川の流路(流れの方向及び湿地帯の中を流れているという特徴) の3つに共通点があることが分かりました。このことから、から、「Ⓑ 馬来作戦「ジットラ」付近 戦闘経過概要」と「Ⓒ 陸軍參謀本部 陸地測量部が1941年に発行した地図」に記載されている大湿地帯は同一のものであり、この大湿地帯の南側付近にジットララインが構築されていたと考えられました。

 このことは、「① 戦闘戦史 攻撃 前編」に記載されていたジットラからの距離(1.5km)とも、おおよそ辻褄が合うこととなります。また、両図の位置関係からカムンティン川は、「馬来作戦「ジットラ」付近 戦闘経過概要」に示されていた対戦車壕である可能性が高いと考えられました。

現在の地図でのジットララインの位置

 現在の地図にジットララインの推定位置などを落とし込んでみました。南北方向の道路等の主要な道路の配置は当時とほぼ変わっておらず、湿地帯を流れていたカムンティン川は、南北方向の道路付近では流路が変わっているものの、現在もそのまま残っていることが確認できました。

ジットラ付近の現在の地図上にジットララインの位置を推定して追記
現在の地図上でのジットラライン推定位置(OpenStreetMap にはカムンティン川(Sungai Kamunting)は表記されていないため、Googleマップの航空写真を参照して追記)

 さらに、Googleマップのストリートビューにより、南北方向の道路にはカムンティン川を超えるための小さな橋が架かっていることが分かりました。この橋は、ジットラから1.5kmほど北にあった、英軍により爆破された橋であると考えられました。なお、ジットララインの北西側の湿地帯は僅かに残されているものの、北側や西側にあった湿地帯はなくなっています。もとは湿地帯だった場所には新しい住宅地などが造成されており、大部分は埋め立てられたと考えられます。

現地確認へ(続きは「その2」にて)

 ジットララインがあった場所が分かれば、あとは現地へ行くだけです。ジットラ周辺での移動も考慮し、125ccのレンタルバイクを利用することにしました。マレーシアでレンタルバイクを借りるためには、バイクを運転できる国際免許証が必要となるため、日本で小型自動二輪のオートマ限定免許を取得し、バイクを運転することができる国際免許証を入手しました。念願かなってジットララインへ向けて日本を出発したのは2017年のことでした。(「その2」へ続く)

参考文献

富士学校戦闘戦史編さん室 編, "戦闘戦史 攻撃 前編", 1976

第25軍司令部,”馬来作戦「ジットラ」付近 戦闘経過概要 昭和16.2.11~16.2.12",発行年不詳(防衛研究所所蔵)

陸軍参謀本部陸地測量部、”[Jitra] Parts of Kubang Pasu District, Kedah”,1942(国立国会図書館所蔵)